気まぐれ日記 2011年11月
2011年10月はここ
11月1日(火)「何でも過激で極端・・・の風さん」
定年までカウントダウン(早い?)に入り、最後の学生生活をエンジョイするべくビジネススクールに入学し、本業の(もちろん!)作家活動も限界に挑戦している風さんであるが、それだけではない。
研究者人材データベースに登録して、将来ある若者たちへ直接影響を与えられる職業、つまり大学の教員への道も探っている。しかも、極端な風さんは、自らのポテンシャルを精一杯背伸びしてアッピールしているため、3つの学部で奉仕できると属性を入力している。@工学部 A経営学部 B文学部 である。親しい某先生からは、可能性を高めるためには、もっと背伸びしてよい、と言われたので、このままで終わりそうなら、 C理学部 を追加しようとさえ思っていた(笑)。
最近、突然マッチングメール(あなたの入力データに合致する公募が出たことを知らせるメール)がいくつか届くようになった。
今日、昼休みにケータイで自宅に届いたマッチングメールをチェックしたら、「ビンゴ!」だった。
帰宅してワイフに相談したら、「いいんじゃない?」と賛成してくれたので、先に賛成してくれた案件と合わせて、合計2件に応募してみようと思う。
いやー、人生は自分でデザインできれば、実に楽しい!
帰りにトレーニングもしてきたが、先日の定期健康診断で、7月以来のトレーニング効果がほとんどないことが分かったので、今日から負荷を上げることにした。ラットプルダウン、ショルダープレス、バーチカルローイング、バタフライの4種目である。
翌日筋肉痛が出るくらいにしなければ……(笑)。やはり私は過激で極端かも。
11月2日(水)「こちらもあちらも不調・・・の風さん」
極端なトレーニングをした翌朝である。
あまり筋肉痛は感じないが、喉がかなり痛い。老化現象でささいなことでも変調が起きているのか、それとも風邪をひいたのだろうか。とりあえずトローチを口にふくむ。
風の冷たい日だ。間違いなく秋だ。
会社は先ずラジオ体操から始まった。
その後、喉の痛みは悪化していない。幸い発熱もないようだ。しかし、デスクワークばかりの1日で、やはり体によくない。それでも根性で頑張るしかなかった。
帰宅して、福島の母の様子を確かめると、昨日に続いて、今日も幻聴で異常な行動をとったらしい。認知症が進んでいる可能性がある。何とかこのまま最後まで勝手気ままな一人暮らしをさせてやりたいのだが……。
書斎でも、会社と同様に、根性で作家の仕事を続けた。
過負荷状態なので効率を重視している点は、ビジネススクールの講義とそっくりだ。
11月3日(木)「とんでもない世界・・・の風さん」
文化の日だが、会社は普通にやっている。何十年も完全週休二日制で生活していると、国民の祝祭日の感覚がなくなってしまう。恐ろしいことだ。
通勤途中で、ミッシェルの積算距離計が170000kmになった。
うまい具合に信号待ちで停車したので、ケータイで記念撮影しておいた。
やはり母の具合が心配なので、土日に様子を見に行くことにした。
そのためのスケジュール調整は厄介だったが、慣れているので、何とかなった。
今日は今日でまた鼻がぐずぐずし出した。花粉症である。
我慢していたら何もできないので、強力な抗ヒスタミン剤を服用した。
早めに服用してよかった。副作用が気にならないほど効き目が出てきた。それだけ花粉症も強烈だったようだ。極端な人間の体内で、強力な薬と強烈な物質がぶつかり合う。とんでもない世界だ。
11月4日(金)「貧乏学生・・・の風さん」
昨夜根性で準備した郵便物を、今朝、出社途中に郵便局脇のポストで投函した。気合を入れて送ったということ。
週明けに発注した新しいデザインの名刺も、運良く午前中に届いた。日曜日に東京で使用したかったのだ。今度の名刺は、一人二役であることを明らかにしたものである。ふふふ。
火曜日から幻聴が出ているらしい母の様子が心配なので、週末は東京まででなく、さらに福島まで足を伸ばすことにした。
その準備もあって、午後を有休にして退社した。
途中、駅で、東京と福島の往復切符を購入した。こういうこともあろうかと、先日入手してあった学割を使用した。乗車券が2割引きになった。
昨日17万キロを走破したミッシェルに給油して帰宅。
入浴し、夕食も摂った後、最寄りの駅までワイフに送ってもらった。
そう。今回も夜行バスである。
こういった行動パターンは、まるで貧乏学生である。
おっと。まるで、じゃない、正真正銘の貧乏学生だった。
11月5日(土)「老作家がタフガイに見える日・・・の風さん」
まだ真っ暗な5時20分に新宿駅西口に着いた。
完璧な洗面を済ませ、ホットカフェオレを飲みながら、最初の目的地へ。
東高円寺で降りて、宗延寺に行った。土曜日の午前7時前なのに、多くの年寄りが公園で運動している。
宗延寺では、天文方で働いていた馬場穀里と足立渓隣の墓を取材しました。それぞれの碑文は、高橋景保、佐藤一斎が撰したものだ。
こういった墓を詣でると、歴史の重みというか、人間の一生というものが、かけがえのないいとおしいものに思える。
運よくバスがやってきたので、新宿までそれで行くことにした。
前の方の席でノートパソコンを操作している中年の男性がいた。画面に映っているのは、CTかMRIによる人体の連続断層写真である。熱心に観察しているのは、医者だからかもしれない。
その人物は「東京医大病院前」停留所で降りた。やはり医者なのだろう。
新宿駅西口で降りた私は、天龍寺の「時の鐘」を初めて訪れた。牧野成貞が寄進したものだという。犬公方と同じ戌年の人物だ。
まだ午前8時を過ぎたばかりである。
今日は超プライベートなので、マックで朝食にした。
それから地下鉄で永田町へ。目指すは国会図書館である。
調べたい資料やコピーをとりたい資料をたくさんリストアップしてあった。
制限時間は2時間半。残念ながら、2冊は所蔵なしで、1冊は借り出す余裕もなかった。しかし、かなりのコピーを手に入れることができた。
東京駅構内のコンビニでおにぎりを買って、東北新幹線に乗る前にたいらげた。いつもながらの質素なランチ。
やまびこ車中で読書を始めたが、まもなく爆睡。
今日はレンタカーを借りずに、バスで母の家へ向かった。駅から610円である。けっこう遠いのがわかるでしょう?
窓から眺めると、銀杏の葉っぱが真っ黄色になっている。ハッとするような美しさを感じた。
実家に着いた、家は鍵がかかっていて、母は留守だった。
待っていたら、まもなくタクシーで帰ってきた。
運転手に確認すると、「銀行に行きたいと言うから、今日は休みですよ、って。そしたら、猫の餌買うからってスーパーへ行ってきました」という返事。
後部座席横に、刺身の入ったレジ袋が……。
今日のタクシー代は7590円だった。
呼んだタクシーだから、ちゃんと帰宅できたのかもしれない。
母いわく「今日で5日連続、呼ぶ声がするもんだから、もう頭がおかしくなりそうだ」。
こうして、毎度のことだが、母との疲れる会話が始まった。
11月6日(日)「70年の星霜を経て・・・の風さん」
6時10分に起きた。
朝食は、昨日近くのスーパーで買ってきた食パンを2枚、トーストした。
マーガリンは、賞味期限が2005年3月4日だったが、決死の覚悟で塗った(残りが少なかったので、食後に廃棄した)。
牛乳は、賞味期限が11月1日になっているものを、IHで温めて固まらないことを確認して飲んだ。
母が起きてくる気配がなかったので、起こさないまま実家を出た。
最寄のバス停を出る時刻は7時32分だった。
空はどんよりとしていたが、幸いまだ雨にはなっていなかった。
昨日は愛知県は雨のはずで、今日は東京が雨になっているだろう。東京雨男にまたなりそうだった。
東北新幹線で大宮まで行き、埼京線に乗り換えて渋谷まで行き、さらに井の頭線に乗り換えて駒場東大前で降りた。
改札口を出たら、約束していた出版社の編集者とバッタリ会った。
幸い雨がやんでいる。
カフェで来年の仕事の打ち合わせをしたが、ほとんど母の介護の話ばかりだった。
しかし、編集者の体験談が貴重だった。編集者のおばあさんは、自宅で転んで頭を打ってから人格が変わったそうで、どうやらそれが認知症の引き金になったらしいとのこと。
うちの母も確かに10年くらい前に転んで頭を打っている。今の認知症はそれから始まっているのかもしれない。
これらの知見はやがて来る自分の老境の過ごし方にも貴重な示唆を与えてくれる。
年とったら頭を打つようなことがないように気をつけなければ。
午後は、13号館で開催された、理科読シンポジウムに初参加した。
小学校低学年まで理科に興味のある子供たちに、何とかその後も、理科に慣れ親しませたいのだが、なかなか難しい。私も微力ながら、書き手として今後も協力していくつもりだ。
ギリギリまで会場にいたので、帰りは駆け足になってしまった。
しかも建物から出ると外は雨。
傘をさして思いバッグを抱えて、駒場東大前駅まで走った。
亡父が70年前に学んでいたキャンパスを、息子が走っているというのはなかなか粋じゃないか!
信じられないほど気力体力が残っていたらしい。帰宅するまで根性で読書を続けた。
11月7日(月)「塩原温泉和泉屋旅館見学ツアー・・・の風さん」
旧職場に出社したが、本当はT製作所で会議があったのを失念していた。
前立腺がんの手術で1ヶ月余り会社を休んでいた同僚(先輩でもある)が、今日から元気に出社していた。なかなか大変な手術だったらしいが、見事な回復ぶりだった。
午後から研修所へ移動した。
先日の定期健康診断の結果が届いた。バリウムを飲んだ結果はOKで、2次検査の指示はなかった。つまり2年前と同様に今回も胃カメラを飲む必要がない。助かった。
今夜は戸締り当番で、退社は8時過ぎになってしまった。
定時後は、来月の福島行きのタイムスケジュールを検討してみたが、たくさんの行事アイテムがあってうまく作成できなかった。
帰宅したら、またまた楠木誠一郎さんの新刊が届いていた。
『ご隠居同心探索異聞 あやかし裁き』。コスミック・時代文庫の新シリーズである。
また、五大路子さんとファンクラブの人たちの、塩原温泉和泉屋旅館見学ツアーの案内も届いていた。日帰りバスツアーで、なかなか忙しい。
しかし、長谷川伸先生ゆかりの旅館で、先生の足跡をファンの方たちが見学するのは、五大さんの公演の背景が実感となって迫るはずで、意義あることだ。
企画してくれたファンクラブに感謝したい。
それにしても、今頃の塩原温泉は紅葉真っ盛りで最高だろうなあ。
11月8日(火)「資料調査と購入の例・・・の風さん」
作家や学生を続けるために、国会図書館だけでなく、地元の図書館もたくさん利用している。
久しぶりに利用した某図書館に、貸し出しの延長手続きに行ったら、延長は1回だけです(つまり連続4週間しか借りられない)と言われ、2冊返却してしまった。
帰りに、1週間ぶりにトレーニングに寄った。
ロッカールームで着替えていたら、近所に住んでいる人で、トレーニングルームではよく見かけるが、ほとんど口をきいたことがなかった人から声をかけられた。この間『算聖伝』を読みました、と言う。彼は帰るところだった。
さらに話を聞くと、「私はクリスチャンですが、キリスト教のことをよく理解して書いていますね」と言う。誉められたようだ。
うれしかったので、私が影響を受けた、遠藤周作の『沈黙』を読まれることを勧めた。
帰宅して、ネットで古本をチェックしたら、使用に耐えられそうな安い本があったので発注した。図書館で現物をチェックした本なので、安心して購入することができる。
それにしても、我の書斎は本であふれかえっている。
11月9日(水)「生きている意味・・・の風さん」
業務がたまってきたので、精神衛生上よくない。出社してすぐ、今日はこれだけ、と目標を決めて朝から気合を入れて仕事を始めた……が、最初に同僚の出張報告を読み出したら夢中になってしまった。
中身が濃い、しかも興味深い内容だ。担当業務だけでなくビジネススクールでの課題にもつながっている。
添付資料が多くて膨大な出張報告だったが、午前中かけて読んでしまった。
最近つくづくと思うのだが、生きている期間が長くなると、色々なもののつながりが明確になってくる。私のように一見活動範囲が広いように見えても、実は、それらは密接な関係があって、見る方向が変わると違って見えているだけだったりするのだ。
しかし、人生、勉強ばかりで、つまり自分の中に蓄積するだけでは、生きている(生かさせてもらっている)意味がない。自分なりの解釈であったとしても、そしてそれがわずかであったとしても、世の中にお返ししていかねば、あっという間に寿命が尽きてしまう。
この間はバリウムを飲んだ結果が来てひと安心したが、今日は大腸がん検査の結果が来た。とりあえずOKだった。これで私は、もう少し仕事をし続けていいらしい。
帰宅したら、3日間我慢できた母が、今日は外出してしまったという。とんでもない理由での外出で(幻聴と妄想が原因なのは明らかで)、またよそ様へ迷惑をかけてしまった。
すぐ兄貴へ電話して対策の相談をした。
11月10日(木)「防災訓練・・・の風さん」
今日は3つも会議があって、昨日のように個人的なアウトプットの少ない1日だった。
3つの会議の中の一つは、月末に予定されている防災訓練に関係したものだった。
私は誘導班を任されているのだが、研修所におけるこの任務はかなり重い。何しろ所員は定数だが、その日の研修が多いと受講生の数が著しく増える。最大で300人ということも起こり得るのだ。
地震や火事の場合に、所員だけで安全な場所へ誘導・避難させるのは先ず無理である。受講生は社員がほとんどなので、全員が心を一つにして行動してもらうしかない。
実際の場面と同じことはできないが、訓練はやっておいた方がいい。それで月末に防災訓練が実施される。
そのための作戦を同僚らと相談しながら作成している。どこかの電力会社みたいなことをしでかしてはいけない。
不安を抱きながら帰宅して確認すると、今日は、母は外出しなかったそうだ。ホッと胸をなでおろす。
これからもこんな状態が続くのだろう。
11月11日(金)「人生、ベストを尽くせ・・・の風さん」
今日は母の92回目の誕生日である。
遅く生まれた私が、母の年齢を意識するようになったとき、既に母は四十代半ばで、母と一緒に生きられる残りの年数が、きわめて限られたものだと感じ、ショックだった。
しかし、あれから、とんでもない年数が過ぎ去った。
私自身が当時の母の年齢をこえてなお、母は健在なのである。
今のこういう状況は予想も想像もできなかったが、こんな先のことまで考えて生きてこなくても、決して後悔はない……ということは、そのときそのときを全力で生きていくことで十分なのかもしれない。
明日は3週間ぶりにビジネススクールへ行く。毎日その日の課題を事前レポートで提出(メール添付で)することになっている。
これまで2科目を経験した私は、指定教科書や参考文献と早めに真面目に取り組んできた。そうでなければ、途中で1科目の受講を断念した意味はない。
なので、今夜は間違っても徹夜にはならないだろうと確信していた。
11月12日(土)「ドラゴンズに感謝・・・の風さん」
結局、就寝は2時半になってしまった。昨夜は他には何もできなかった。メール添付して提出した課題レポートの出来も満足できるレベルではなかった。
今回も自分の力不足を痛感した。
そのための勉強だと言ってしまえばそれまでだが、大学やまして大学院の勉強というのは、教えてもらうという受身ではなく自分でテーマを創り、やり方も自分で考えて答えを探っていくのが原則だ。教官含めて大学はそのための良い環境を提供してくれるだけである。
ベッドに入ってからも、悶々とした思いが頭をめぐって、熟睡できなかった。
行きの電車で読もうと参考文献を持参して(眠くなったら寝ようという魂胆ももちろんあった)最寄の駅までワイフに送ってもらったら、近所の奥さんも同じ電車を待っていた。
久しぶりに会話したら、意外とうちのことを知らない。とりあえず母の認知症問題を説明しているうちに、名古屋が近くなってしまった。
若い人たちの熱心な姿を見るのは実に楽しい。
自分の力不足に衝撃を受ければ受けるほど、やりがいを覚える。
今回の講義はあまり遅くまで長引かなかった(正規の時間は10時から16時40分だが、18時くらいまでの延長は当然のように見えた)。
17時に終了したので、帰りにお気に入りの電器屋に寄って電気かみそりを購入した。長年使用していたやつが磨耗で切れ味が落ちていたのだ。内刃や外刃を交換してもあまり改善は見られなかったので、内刃の固定部品そのものの磨耗が急速に進行したと判断した。
店に入ると、ドラゴンズの応援歌が流れていた。
日本シリーズの第1戦は、相手投手に封じ込められていたが、わずかなチャンスをものにして、延長戦で勝利していた。ドラゴンズらしい勝ち方だ。
このところ貧乏なので、電気かみそりは、現有のものよりもレベルを落とした。
レジへ行くと、「10%引きです」という。
そうだ。リーグ戦を制した優勝記念セールがまだ続いていたのだ。
(ラッキー!)
しかし、日本シリーズも制して完全優勝すれば、さらに割引率は高まるかもしれない。いやいや、それまで待てない。
11月13日(日)「同い年・・・の風さん」
今日の分の課題レポートの準備にも予想外の時間がかかってしまった。
就寝時刻はまた午前2時半だった。
今回の講義の題材はIT(情報技術)である。
会社でもいくらか関わってきた技術だが、今回、あらためて勉強してみると、ITが違って見えてきた。
これまで時代の最先端技術で高度であり、専門家でないと扱えない特殊な技術のように思っていた。
それが、今回経営学という視点で見てみると、実は未成熟のままどんどん進化しいく(つまり開発中の技術と同じで、適用しようとすると次々に問題が起こる)こと、物体として見えない(現地現物といったことが言いにくい)ことのために、経営的な取り扱いがとても難しいということが分かったのだ。
この気付きは大きく、従来技術を扱うのと同じマネジメントが適用できることとできないことに分けて考える必要のあることが分かった。適用できることは、たとえば開発技術に対するマネジメントだろう。適用できないことに対しては、やはりITのために研究されているマネジメントを学んで、少なくともITアレルギーを解消しておくべきである。
グループディスカッションは、昼休みをはさんで実施される。昨日も今日も、仲間と近くのコンビニへ買い出しに行き、部屋でそれを食べながら議論をした。こういった経験も私には楽しい(これが会社なら、年長者である私は上司といった立場であることが多いが、ここでは関係ない。学生として対等であり、むしろ私などは出来の悪い学生の部類である)。
何とか週末の講義を終えたが、勘申の作家業の進展が停滞している。頑張らねば。
日本シリーズ第2戦はナイターで、またドラゴンズがからくも勝利した。敵地での2連勝でもあり、ドラゴンズにとっては出来過ぎだろう。
しかし、10月末で契約が切れて、まるで残業のように指揮をとっている落合監督には、完全制覇という美学達成の意地があるのではないか。
落合監督と同年齢の私は、彼が秋田工業高校生だったとき、同じ秋田市内の秋田高校生だった。いわば同郷である。
そういう意味で、彼には伝説を作ってほしい。
あ、そういえば、今回のビジネススクールの先生も同年齢である。
11月14日(月)「技術者の1日・・・の風さん」
出社しようとミッシェルの始動キーを回したが、うんともすんとも反応がない。
無音の静粛……。
まさかバッテリ上がりでは? 昨年新品に交換したばかりである。そんなはずはない、とは思いつつ、早く出発したかったので、ワイフの車の向きを変えて、互いのバッテリをブースタケーブルでつないで、再度始動キーを回してみたが、私の周囲には、耳を圧するほどの静謐な空間が広がっているばかりだった(大袈裟な(^_^;))。
最近激しく脳を使っているお陰かもしれない。
セルモータが回らない原因がすぐに分かった。
シフトレバーはパーキングに入っているが、それをクルマが認識していないに違いない。
試しにシフトレバーをニュートラルに換えてみたら、セルが回り、一発でエンジンが始動した。
変なたとえだが、私の長年使用していた電気かみそりと一緒で、何度も繰り返し使用してきたシフトレバーは、どの位置でも固定せず、横から力を入れればグラグラ動いた。部品が磨耗しているのだ。これでは、シフトレバーの位置を感知するスイッチも不安定になるに決まっている。
幸か不幸かエンジニアらしい働きをした私は、感心するワイフに見送られてようやく家を出発した。
ミッシェルの切れたフォグランプの交換をしてもらい、不安定なシフトレバーの固定方法について中古車屋の社長と方針決めをしてから帰宅した。
夕食後、ワイフがパソコンの操作を聞いてきたので、教えてあげた(えっへん)。
書斎で自分の執筆マシンを操作すると、動作がおかしい。昨夜のソフトのインストール作業を間違えたのだろうか。うろたえてあれこれしているうちに、袋小路に入りかけた。
そこで少し頭を冷やして考えた。
確かにボケた私は昨夜作業を間違えたらしい。その仮説に基づいて、再度作業をすることにした。
新ソフトの入れ方と旧ソフトの削除の組み合わせを、正しい組み合わせになるようにやり直したのである。
少々時間はかかったが、できた!
よけいな作業の分だけまた就寝は遅くなったが、執筆に取り組んだ。
11月15日(火)「トレーニングの重要性・・・の風さん」
月末の防災訓練のため、AEDの扱い方を学んだ。
初めてだったが、何とか使えそうだ。
しかし、実際に意識不明で倒れている人を前にしたとき、冷静に行動できるか、それが不安である。
いや、心配する必要はないかもしれない。私自身がAEDのお世話になるだろうから。
超多忙状態が続いているが、体力が基本なので、帰りにトレーニングに寄った。
フルメニューをこなして帰るとき、トレーナーの女性から声をかけられた。激励である。
ほぼ毎日のようにトレーナーは違う人になる。それでも、7月以来コンスタントに通っているので、顔を覚えられたらしい。
ほとんどのトレーナーから激励される。敬老精神の表れだろう。
体を動かした後は、執筆の元気も出る。やはりトレーニングは重要だ。
11月16日(水)「考えることは多いが・・・の風さん」
月末の防災訓練のシナリオをバージョンアップした。職場の仲間から「まるで小説みたい〜」と喜ばれているが、私は真剣だ。
いざというときは、決して訓練通りにはいかない。だから訓練は必要だ。その訓練の効果を上げるためには、一種の「型」のようなものがいる。
定時後、同僚と雑談していて退社時刻がやや遅くなってしまった。
今夜はワイフがトールの協会の飲み会なので、自分でカレーを温めて食べなければいけない。
一人だけのやや遅い夕食が終った頃、珍しくケータイが鳴った。
福島県の警察署からだった。
心配していたことが発生した。夜、フラフラ出ていたオフクロの様子を怪しんだ人が警察に通報したのだ。
警察はオフクロを保護し、自宅へ連れて行った。
そして、十日前に行ったとき、自宅の玄関に私の連絡先を書いた紙を貼ってきたので、それを見て電話してきたのだ。
そのとき説得した私の努力はあまり効果がなく、オフクロはまた幻聴に誘われて外出しだした。しかも、夜。
危機管理を意識していても、あるいは意識すればするほどなのか、事態は悪い方悪い方へと動いていく。
朝から晩まで色々なことを考えていて、少しも減る兆しがない。
貧乏ヒマなし。しかし、下手な考え休みに似たり。矛盾。
11月17日(木)「師恩・・・の風さん」
秋晴れ、行楽日和の下、ミッシェルで三重県の製作所まで出張した。
思い出深い工場で、先月も来たところだ。夢中で仕事をしていた若き日の自分がいとおしい。
昼食は工場で摂った。かつて味の悪さで有名だったところだが、今はまともになっている。今日はワンタン麺とサラダにした。私のワンパターンの一種だ。
仕事は楽しく終了し、帰りに有料道路のサービスエリアでお土産も買った。今度いつ来れるか分からないからだ。
帰宅したら坂田昌一コペンハーゲン日記刊行会(代表:益川敏英先生)から寄贈書が届いていた。
『坂田昌一の生涯』(鳥影社)である。資料としても貴重な本で、500ページ近い分厚さに、益川先生らの恩師坂田先生への想いが感じられた。
11月18日(金)「恩師・・・の風さん」
私にとって恩師は大野先生である。
その大野先生に相談するため、自由ヶ丘キャンパスを訪れた。
先生は岩手県で開催された日本経営工学会秋季大会(+プライベート旅行)から帰られたばかりで、お忙しいタイミングではあったが、いつものように快く会ってくださった。
社会人入学していた3年間で、先生とのやりとりというか息の合わせ方はしっかり分かっているので、独り言のような言葉も聞き洩らしてはいけない。重要な示唆が含まれているのだ。
しかし、知らない人がそばで私たちの会話を眺めたら、まるで漫才のように見えるかもしれない。それほどくったくのない雑談風のやりとりだからだ。
今日頂戴したアドバイスの本質は、プロモーションの要諦みたいなもので、ターゲットを外さずに明瞭に伝えるということだった。
午後8時半にすべての用事が終わったので、夕食を誘ったが、これからまだ仕事があるから、と断られた。
そう。私のために仕事を中断しておられたのだ。しかも、かなり長い時間。
帰宅したのは午後10時だった。
明日のビジネススクールのための事前レポートは、これからだった。
11月19日(土)「ほぼ徹夜明けで始まったWeekend MBA・・・の風さん」
事前レポートをメール添付で出し終わったのは、今朝未明の6時ころだった。
少し仮眠できそうだ、と思った私は、それからベッドにもぐりこんだ。
約1時間10分の浅い睡眠で起き出して、今回の科目の3日目が始まった。
事前レポートは今日やるところの予習なので、結局1日かけて、グループディスカッションと全体討議を通じて、分析と考察が深められていく。
そうなると、たとえ徹夜して頑張った事前レポートであっても、それがいかに浅薄な内容だったか思い知って愕然とするのだ。
しかし、落ち込んでいる余裕はない。明日もあるのだ。
急いで帰宅した私は、さすがに寝不足で頭が重かったので、とりあえず夕食後仮眠することにした。
目覚ましを午前2時にセットした。
11月20日(日)「カメラマンになった4日目・・・の風さん」
セットした目覚ましよりやや遅い2時40分に起床。
パーキンソンの法則といって、結局、出発までの時間を目いっぱい使って書き上げた事前レポートを送信することに。
今日はデジカメを持って出かけた。今週、会社で私の「MBA奮戦(苦戦)物語」を紹介するためである。
地下鉄の駅を出たところで、連れ立って歩いている仲間3人を発見して、後方からパチリ。
わざわざ離れたところまで歩いて、キャンパスの遠景もパチリ。
特徴的な屋内もパチパチ。
時間節約のために食事しながらグループディスカッションしている風景もパチリ。
最後は、打ち上げのスナップ写真も撮った。
泥酔すると爆睡して帰宅が危なくなるので、飲み放題だったが、グラスワインを2杯だけで我慢した。
帰宅したのは、午後10時だった。
また、目覚ましを午前2時に……と思ったが、そりゃ無理だろう。
とにかく早く寝ることにした。
11月21日(月)「まだ限界に挑戦・・・の風さん」
恐るべきことに午前2時過ぎに起床した。
やることがあった。どうしてもやらねばならないことがあった。
しかし、非情の夜が明けた。
できなかった。
T製作所で会議が二つ待っている。
直行して、余裕しゃくしゃくの時間に着いた。
昼前に旧職場に移動したが、渋滞していた。
昼休みに少し寝た。こうやって睡眠を補充しないと本当に死んでしまいそうだ。
早めに退社し、途中で買い物とミッシェルの給油をして帰宅した。
夕食後、今朝の続きを始めたが、プリンターの調子が悪く、思うように仕事が進まない。
だましだまし使ったが、印刷物が汚れて使い物にならない。
今朝未明に、自分の写真を印刷しておいてよかった。
結局、印刷は階下の家族用PCとプリンターを使うことにしたが、しばらく私が使わないでいるうちに、家族用PCからpdfリーダーとオフィス2007以降のファイルを開くソフトが削除されていた。
次々に起こる障害のために、また遅れた。
結局、午前3時になってもまだできなかった。
もう限界が近かったが、明日(既にその明日になっていたが)の昼休みに、会社の同僚に紹介する私の「MBA奮戦(苦戦)物語」のスライドを急いで作成した。
それを会社へメール送信したところで、限界をこえた。
11月22日(火)「とりあえず一つ完了・・・の風さん」
頑張ったが、結局時間切れとなってしまった。
用意した郵便物の投函をワイフに頼んで、ミッシェルでロケットスタート。
会社の昼休みに、通っているビジネススクールの1日を写真で紹介した。とにかく大変なんだ、と説明し、それは伝わったらしく、でも、かえって、ナゼそんな大変なことをやるの、という質問が殺到した。
その回答はとっても難しい。私の人生哲学というか、美学あるいはこだわりの集合体だからだ。
来週の月曜日に防災訓練があるので、私の担当する誘導班だけでリハーサルをやった。今回は誘導班(含む救護班)が最も活躍するのだ。
返却期限がきたので、勤務地の図書館に寄って、借りた本を返し、新たな本(この間、期限がきていったん返したもの)を借りた。
郵便物はワイフが無事に出してくれた。助かった〜。
さあ、今夜は遅れている自分の仕事をやるぞ、と力瘤を見せてガッツを出したが、夕食におでんが出て、日本酒を少し飲んでしまったため、あえなくダウンしてしまった。
11月23日(水)「心配な塩原の空・・・の風さん」
今日は勤労感謝の日だから仕事はしない……なんてたわけたことは言わない。
会社でもちゃんと仕事をして、帰宅すればしたで、自分の仕事はやる(なかなか進展しないが)。
しかし、だ。
最近認知症の母と同じことが、私の身体にも起きている……ような気がする。
モノ忘れ、だ。
信じられないことに、大事なものが見つからない。
どこかにしまって、その行為と場所を忘れているのだろうか。それなら母とスタートはそっくりだ。母との違いは、母はそれを自分の物忘れとはせずに、他人が盗んだと結論することだ。私はまだそこまで焼きはまわっていない。
とはいえ、ないものはない。見つからないものは見つからない。困っているのだ。
それらは2つあって、一つは印鑑入りの印鑑ケースで、もう一つはビジネススクールで使用するケースブックである。
とほほ……の気分である。
今日は、気分だけでなく、実際の天候も時間とともに急降下していった。
午後になって雨である。
今日は、大和田伸也と五大路子夫婦のファンクラブが、塩原温泉和泉屋旅館に、日帰りで長谷川伸の足跡見学ツアーに出かけている。
天気が悪いと見ごろの紅葉も輝きを失ってしまう。
にぎやかしのための仕掛けを、旅館のご主人にお願いしてあるが、もし昨今の風評被害で人数が減っていたら、にぎやかしも効果が半減する。
超多忙なところへもってきて、不安材料も多い今日この頃である。
11月24日(木)「へとへとで帰宅・・・の風さん」
今日は会社と心中したような1日だった。
午前中に、自分が仕掛けた防災訓練のリハーサルをやって、午後から会議が2つ続いた。
夕方から、自分の主催したイベント「ビジネススクールでの学習内容」を関係者に紹介した。
定時後になったが、防災訓練のミニリハーサルをやり、それで今日は終わりでなく、しっかり午後8時過ぎまで戸締り当番もやった。
ほとんど休憩する余裕もなく、へとへとで家路についた。夕食後さっさと寝た。
11月25日(金)「少し進展・・・の風さん」
早起きして、29日の講演スライドとレジュメの作成に挑んだ。
途中までやったところで、名古屋へ出張した。
貴重な講演を聴くことができ、勉強になった。
私は超多忙なので、そのまままっすぐ帰宅した。
スライドとレジュメの続きをやって、レジュメは提出することができた。
やれやれ、とりあえず少し進展したな。
明日に期待して、今夜もさっさと寝た。
11月26日(土)「安心やら不安やら・・・の風さん」
久しぶりに8時間寝た(皆さん、安心してください)。
もう一つ、うれしいことがあった。
ないないと思っていたビジネススクールのケースブックが、実は、存在してないことが分かったのだ。
つまり送られてきたと思っていたこと自体が幻で、最初からなかったのだ。
夫婦でボケていたことになり、やばい気がする。
しかし、ケースブックはなくても、課題はどっさりとある。教科書から参考書から宿題から何でもかんでも、既に大学院のサーバー上に提示されてあるのだ。私は、2冊の教科書をもう買ってあるし、参考書も図書館から借りてある。
ケースブックはなくて助かったが、予習をやっている時間がない。それも大問題だ。
今日は夕方から文章サークルがあり、そのあと、お楽しみ会をやった。一種の懇親会、忘年会である。
今夜は血液型の話で盛り上がった。
昔、血液型人間学を勉強していたので、それを披露することができた。
血液型人間学は、小説の勉強に役立つ。
11月27日(日)「ひたすら執筆・・・の風さん」
昨夜も8時間の睡眠時間を確保できた。
それで、7時に起床。さあ、執筆がんばるぞ。
朝食を摂っているときに、大発見があった。
なんと、テーブルの下で、スリッパの先にこつんと当たる物があり、よく見ると、ケース入りの印鑑だった。
紛失していた物である。
誰かに盗まれた、と騒がなかったのは、まだ認知症が軽度だからだろう。
とにかくこれで、失せ物が2つ、一件落着となったのだ。うれしい。
午後、約束していたケーブルテレビの営業マンがやってきた。
新しいサービスで、ケーブルを使った電話に契約すると、今よりさまざまなコストメリットが発生するらしいので、その説明に来てもらったのだ。
聞けば聞くほどメリットがあることが分かったので、年末に、工事をしてもらうことにした。
来客対応以外、ひたすら執筆に専念した。
うまくいけば明朝までに原稿が完成するかもしれない。
そう明るく考えながらひたすらパソコンに向かった。
2日連続でたっぷり寝たので、体力はバッチリである。
11月28日(月)「防災訓練本番でヘマ・・・の風さん」
防災訓練本番の日がやってきた。
今日はもうこれだけだ。これさえベストが尽くせれば、後々への良い経験となる。何たって、東海大地震はいつきてもおかしくないのだから。
しかし、今日まで一所懸命に準備してきたが、うまくいきそうもない。まだまだ勉強や準備が不足しているのだ。こういうのは、私の人生観に反する。万全の準備、そしてベストを尽くして初めて、どんな結果でも受け入れることができる。そういうものだ。
しかし、私がヘマを連発しても、きっと同僚は最高のパフォーマンスを発揮してくれるだろうなあ、という予想というか期待もあった。私だけが取り残され、落ち込むことになるのだが。
出社して、午前中も、大事な部分のリハーサルをやった。やはり同僚の演技はすばらしい。足を引っ張らないようにしなければ。
午後になって、検閲者がぞろぞろとオフィスにやってきた。
もういい。今日は快晴だから、幸運の女神はきっと微笑んでくれる。そう思って、運命の時刻を待つことにした。
訓練の予定は14時地震発生がスタートで、順調にいけば14時45分で終了となる。
そして、ついに火蓋は切って落とされた(大袈裟な!)。
・・・・・・。
なんと14時20分ですべての訓練が終わってしまった。火災発生の初期消火も、意識不明者のAED・担架搬送も、館内在住者以外の避難誘導も、同僚たちはすべてうまくやってくれた。
やはり私だけがヘマを連発した。同僚の名前を間違えて呼んだりして(リハーサルもそうだった)、最低の出来だった。
それでもとにかく終わったのはめでたい。
会社の仕事はもうそれで終わりにして、速攻で帰宅。
しかし、祝杯を上げている場合ではない。
明日の準備やら何やらで、今夜も死ぬほど忙しい。
11月29日(火)「講演から家族での食事会へ・・・の風さん」
今日は某大学で作家として講演するので有休である。今年どれだけ有休をとったろうか。まるで結婚が近いか、あるいは退社が近い人間のようだ。
出発ギリギリまで準備していたので、途中での昼食は難しそうだ。家にある菓子パンを1個失敬して、飛び出した。
駅で缶コーヒーを買い、電車の中でもぐもぐ食べた。
目の前に挙動不審の男がいて(自分のことは棚に上げて)、そいつが降りるとき、私の隣に座っている女子高生にガンをつけて出て行った。
電車のドアが閉じてすぐ、女子高生が「やだー。もう、何よ、あれ、おかしくない?」と叫んでいたが、万が一のとき私は体を楯にして女子高生を守れただろうか?
防災訓練と違って、全力で準備していたので、講演前から張り切っていた(実際はへろへろだったが)。200人以上の女子学生中心の聴講者だからではない。将来に対して不安を抱える彼ら彼女らのために、私自身の人生を語るのだ。人生なんでもありだよ、と。
講演時間も1時間半用意してもらえたので、超高速喋りも不要である。昨夜、スライドも10枚減らしたので、大丈夫。
階段教室だったが、演壇には立たず、学生の近く、最前列の前を、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりしながら喋った。ときどき私から質問を発して、正解が返ってきたら、文庫本をプレゼントした。
何とか講演が終わり、先生にお願いして部屋を借りて、まだまだ残っている仕事に必死に取り組んだ。明日は母の介護のため、福島へ出発しなければならない。今夜は家族で食事会があるので、いったん帰宅するだけの余裕がないのだ。
結局、思ったところまで到達できなかったので、明日の出発を大幅に遅らせることにした。つまり、名古屋から新幹線でなく、夜行バスに変更した。持参したPCをネットにつないで、夜行バスの予約、購入処理も完了させた。
今夜は、家族で食事をする予定にしていたので、名駅で集まった。その前に買い物もした。
寝不足の私は、もうフラフラだったが、最後までベストを尽くした(家族での食事会なんかで全力出すな!)。
11月30日(水)「タイトロープ・・・の風さん」
午前中一杯かかって、就職の応募書類を完成させ、郵便局まで行って書留で出した。今日が締め切りで、当日消印有効に期待したのだ。
まったくもう本当にギリギリなんだから!
毎回、パーキンソンの法則(仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する)の実行だ。
郵便を出してから、福島へ行く準備にようやくとりかかるのだから、タイトロープ(綱渡りのロープ、転じて危ない橋をわたること)である。
先に入浴し、夕食後、ワイフに駅まで送ってもらった。
電車を待ちながら、ふと我に返ると「すごい人生だ」と思わずつぶやいてしまう。
名古屋まで文庫本を読み、バスの発車時刻前にビールを買って、柿の種を食べながらビールを飲んでいるうちに爆睡状態になった。今回は首に巻いた枕という秘密兵器があるので、きっと道中は楽だろう。
バスの乗客は半分くらいしかいなかった。
2011年12月はここ
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